■2007年01月24日(水)01:57
初心忘れるべからずのこと
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ん〜と、人間の魂というか知覚限界とか、そういう根底の話から始めようかとか思ったんだけど、 やたらと哲学的になるんで止め〜
ええと、まず初心を増やすの話ね。 初心忘れるべからず、って言う言葉は「最初の気持ちを忘れるな」 って言う意味だと捕らえてる人が多いのですが、 実は原典では、3つの初心を言っているのです。 それはまず、始めたばかりの時の初心、慣れてきた頃の初心、芸に習熟した頃の初心、 という3つでして、ちなみに芸と言ってるのは能の世阿弥の言葉だからですね。
で、知覚の話をしていないのでちょっと分かりにくいかもしれないんですが、 私が何かを創る原動力というか、何かを創るそのものの行為というのが、 簡単に言えば何かを見て感動して、それに対して考えた色々が形を作っているということなのです。
(知覚の話をしていれば五感という薄い膜に囲まれた魂に五感を通して刺激を与えて、 そして返ってきたものをまた返して形作られていくものがある、でそれがおいらの創造というような説明になるかな…… ちなみに魂というのは便宜上の呼称であって、結局人間は自分の内側の魂すら五感からの想像でしかなく…… などという話があったりするんですが、忘れてください……おいらの哲学ですから)
とまぁ、そんなこんなで、影響を受けやすい人間なので、その元になるものを増やしていく、 という方法が合ってるだろうし、それしかないのだろうというのがこの前の話でした。 あと、後述の学習方法に関しても近い状況があったり……
さて、物を見る事に関する初心を言うならば、 初めて見たときの感動、何度も見直して考えたこと、何度も何度も見て自分の中に吸収した物を考える ということになるでしょうかね。
んで次は学習能力についてかな、 確かに普通は学べば学んだ分何らかの力になるんだけど、 その力のなり方って言うのが実は人によってかなり違う。 学習方法の問題と混ざってるけどまぁ、おおざっぱな話と言うことで…… 普通の人は1つ学べばレベルが1上がる、 でも時々停滞して学んでもレベルが上がらなかったり、 逆に何かをきっかけに理解が連鎖的に一気に深まったりって言うことは誰でもあると思う。 つまり、レベルの上がりと学習は完全に比例しないって事なんですわ。
ただ、ほぼ正比例なのは確か、 なんらかの努力せずに、賢くなることはないから。 時々努力が裏目に出るときもあったりするけどね……
でも、正比例の形も色々あって、特においらはある一点で一気にレベルアップするタイプなんです。 正比例というよりは、点が飛び飛びで上がってくようなグラフになりますかね…… つまりは、沢山の本とかを平行に読み進めてって、理解がはじまったときに 全体図を構成してそこで一気に形になるって感じなのです。 だから、1つの事象でのグラフではなく、グラフを描くとするともっと三次元的で、線もいっぱいなものに…… これは創作でも同じで、全体図の中で決まってる部分と決まってない部分をどう繋ぐか、 っていう状態が、ある時に一気に形になる感じ、 もちろん、物語で最低限度どこで何が必要っていう理屈の部分は常に計算してるんだけど、 それと設定が合致する瞬間があるって感じかな。
この一気に形が出来るときの感じは、不定型な空間で 一気に全方向に形が出来るわけで(イメージというかおいらの認識です) その時に形になるものは、一般的にはまったく関係のないものも取り込むので、 いろんな事を記憶して、考えていくことが大事、 というか、そうしないとおいらは駄目っていうことがあったり…… もちろん人によってはまったく違うのだろうけど……
んであと、物の習得の補足としては、 人によってまったく違う理解の近道があって、 全部理解しないと使えない人も居れば、公式だけ記憶してとりあえずで使ってく人も…… って言うとわけ分からないか……
ん〜と…… 例えば1を聞いて10を知るって言葉があるけど、 1から10まで単純に答えを記憶する人、 1から10までの習得速度が遅いけど11を自分から探し出せる人、 1と2の間を探してしまう人、 別の物との関連付けで、別の1から10を平行する人、移行する人、 1から3まで駆け足で進んでから2まで戻る人とか…… いろんなの居るですよ。
え〜 なんか凄いぐだぐだと、とりとめもない話でした。 読んでしまった人が居たら……忘れて良いんじゃないかと…… | | |